『ST☆RISH』としてデビューが決定してから、お披露目ライブに向けて毎日がほぼ練習となっている。
七海春歌が作曲家として参加できない、という問題が立ち上がった際練習をボイコットしていたこともあり、それを取り戻す意味でも内容はハードだった。
最も、HAYATOとしてアイドル活動をこなしていたトキヤにとっては、それほど苦ではない。
ようやく本来の自分として歌える場所を見つけ、仲間に受け入れられ、正真正銘歌手として、アイドルとしてデビューできるのだ。どれだけ練習が厳しかろうが、苦しいなどとは思わない。むしろ大歓迎だ。
もっともっと歌いたい。踊りたい。早くステージに立ちたい。自身の問題も解決した今、胸はただ喜びに満ち、期待に溢れ、不安など何一つなかった。ない、はずだった。
「あー今日もつっかれたー! うわっ汗臭! 俺先に風呂入るねトキヤ」
「え、あぁ……どうぞ」
練習を終え部屋へ戻ると、同室の一十木音也は汗の染みた自分のTシャツをくんくんと嗅ぎ、そう言ってさっさとバスルームへ入っていく。
汗臭いのはこちらも同じで、早くさっぱりしたいのも同じなのだが、風呂にかかる時間を比較すれば音也が先に入った方が効率的だ。それについて異論はない。ないのだが、トキヤはパタンと閉められたバスルームの扉を見つめたまま、なんともいいようのない思いを抱いて己のベッドへと座った。無意識に溜息が出て、そのことにすっと眉根を寄せる。
音也はいつも通りだ。今の流れに、何ら不自然なところはない。けれどやはり、あれ以来どうにも見えない壁があるように感じた。
いや、それは自身の罪悪感がそう思わせているのかもしれない。
立ち塞がっていた障害は全て解消され、何もかもが順調に進んでいる。それなのにこうして溜息が出てしまうのは、HAYATOであったことを、隠したままここで生活していたことを、彼に直接謝罪できていないからだ。
皆に知られてしまった時、全員がいる前では謝った。何故HAYATOとして活躍しているくせに正体を隠して早乙女学園に来たのか。アイドルを目指す彼らと同じラインに立とうとしたのかの釈明もした。そして皆それを受け入れてくれた。その時点で、この件は終結してはいる。
だが、音也に対してだけは、それで終わりにすべきことではなかった。
彼とは、ただの同室者という関係ではない。そう長くはないが、短くもない時間を、恋人同士として過ごしてきたのだ。その恋人に隠し事をされていて、ショックでないはずはない。現に最初は、どうして自分には教えてくれなかったのかと訴えたくらいだ。それでも皆への釈明や自分の気持ちを思ってなのか、それ以降彼はトキヤに何かを訊こうとはしなかった。
『俺、何も気付けなくてごめん。色々大変だったよね』
でもこれからは違うから、と、笑顔を向け、この件はこれで終わり、とばかりに言及することはなくなった。
その後、春歌の件でばたばたし、解決した後はこうして練習の日々で、二人でゆっくり話す時間が取れなかったせいもある。
けれどだからといってうやむやにしていいことではない。それに、やはり気のせいではなく音也の態度はあれ以降少し変わっていた。
そもそも今だって、以前なら「時間がもったいないし一緒に入っちゃわない?」くらいは言っていたはずだ。それに応じるかどうかは置いておくとして、そうした軽口も、鬱陶しいくらい繰り返されていた「好き」も、触れ合いも、あれから途絶えている。
音也は感情表現がストレートだ。それこそこちらが引くくらい、まっすぐで強引で、けれど、裏がないと知っているから心地いい。本人には決して明かさないが、嬉しいと感じている。だからこそ、今の状況がひどく心地悪いのだ。
怒っているのか、本当はまだ、気持ちの整理がついていないのか。それとも、隠し事をするような人間だったことに失望したのか。
ひとつひとつ挙げていきながら、最後のそれにトキヤはぎくりと胸を鳴らした。
まっすぐで裏表のない性格の彼にとって、恋人に隠し事をされていたことはかなり大きなショックだったろう。ささいな隠し事ならまだしも、アイドルとして二重生活をしていたなんて、言ってしまえば裏切りに等しい。
「……」
裏切り、という言葉に、胸は更にずきんと大きくと痛んだ。
そうではない。そんなつもりは毛頭なかった。隠していたことは事実でも、アイドルを目指す音也の思いを軽んじたことはないし、彼への想いにも嘘はない。そもそも好きでなければ、複雑で厄介な事情を持ちながら、想いを受け入れたりなんてしない。
膝に置いた手をぎゅっと組み合わせて握り、トキヤは目を閉じて俯いた。
こんなことを一人で考えていても埒が空かない。本人に直接、すべてを打ち明けなければ伝わりなどしないのだ。
「あーさっぱりした!お待たせトキヤ〜」
「――」
ベッドに座ったまま悶々と考えこんでいるうちに、音也は風呂をすませてしまったらしい。がちゃりとドアを開く音とその声に、トキヤは思わずにびくりと身を揺らした。自ら話そうと決めたものの、まだ心の準備ができていない。
音也がカラスの行水なのは知っているが、それにしてももう少し時間をかけたっていいではないか。このまま自分が風呂に入ってしまえば、出てくる頃に彼が夢の国へ旅立っているだろうことは明白だ。つまり、また話すきっかけを失うことになる。
とはいえ、ならば今すぐに話せるかといえばそれも難しかった。いや、そんなことを言っているからずるずるとここまで引っ張ってしまったのだ。もうここは覚悟を決めて、多少唐突でも切り出すしかない。
「……どしたのトキヤ? 疲れちゃった?」
「――っ……」
返事もせずに座りこんだままでいたせいか、いつのまにか目の前まできていた音也がひょい、と腰を屈めて顔をのぞきこんできた。目の前に急に顔が近づき、まっすぐな瞳に全身が心臓になったかのようにびくんと跳ねる。
あまりの不意打ちに、トキヤは思わず息を飲んで身を引いた。その反応に僅かに目を見開き、音也は「ぁ、ごめん」と小さく謝ると体を起こす。
音也にしてみれば、身を引く動作が拒絶に思えたのだろう。そういうわけではない。ただ、驚いただけだ。だが、音也はトキヤの顔から目を反らすとくるりと背を向けてしまった。
「あーそうだ。今日課題出てたんだよね。明日の授業までにやっておかないとだった」
「あの、音也……」
「トキヤはお風呂! 疲れてても入った方がいいよ。そのほうが体休まるし」
肩にかけたタオルでがしがしと乱雑に髪を拭きながら、音也は自分のベッドに腰掛けた。そうして鞄を持ち上げ、中から教本とノートを取り出す。
その間、音也はこちらを見ようとはしなかった。やはり気のせいではなく、音也の態度はおかしい
今のやりとりを考えれば、嫌いになったというわけではないとは思う。けれど、どこかぎこちない。見えない壁が、間違いなくある。
「えーっと確か……あ、そうそうここ」
「……」
パラパラとノートをめくり、音也は一人で呟いている。机に座って勉強をする、という習慣があまり身に付いていない彼は、大抵ベッドの上か床にあるクッションに座ったりねそべったりと、おおよそ勉学に向かないスタイルばかりを好んだ。それについて、トキヤも都度都度注意したものだ。
いつもならそんな風に、「ベッドの上などでやっては集中できないし身に付きませんよ」と言うところだろう。だが、そんな言葉はでてこない。気軽に声をかけられる空気が、今はない。
そうだ。それは気軽な空気だったからこそできていたやりとりだった。
音也にとっては口うるさい説教でしかなく、トキヤ自身もそう思っていた。だが、実際のところそのやりとりは同室者として、恋人同士としてのコミュニケーションのひとつだった。
何を言っても、言われても、互いの仲が悪くなるわけではない。表面には出なくとも、温かく優しい空間があっての、言葉のやりとりだった。そしてそれは、音也の持つ明るくさっぱりとした性質があったからこそのものだったのだと、こうなってみて実感する。
オープンな性格であり、トキヤに向ける好意の示し方もわかりやすい。そんな彼に、自分は甘えていた。甘えていた結果がこれなのだ。
たった一言謝罪すれば済むことかといえば、そうではないだろう。責められて、なじられて、それでも許されるかはわからない。謝る行為とて、底を探れば単に今あるこの罪悪感を消したいだけなのかもしれない。それでも、このままにはしておけない。したくない。
何より、ぎくしゃくしたままでは練習にも影響が出る。せっかくのデビューライブなのに、心から楽しむことも、全力のパフォーマンスを見せることができないかもしれない。
もっともらしい理由をひとつひとつ胸の中であげながら、トキヤはふっと口元だけで笑った。
どれも嘘ではない。だが、そんなものはすべて建前だ。本音を言ってしまえば、ただ、自分が嫌なのだ。自分が、このままでいたくない。
きりきりと痛む胸をぎゅっと上から掴み、トキヤは一度目を伏せると静かに息を吐いた。
まるで初めてステージに立ったときのような緊張感だ。いや、そのときだって、ここまでではなかった。
ステージに立つときも、カメラを向けられるときも、そこに至るまでの練習や準備という積み重ねがある。緊張の裏に、不安と自信がまざりあって控えていた。
けれど今は、そのどれもない。
そもそも誰かを好きになり、つき合うということ事態が初めてなのだ。何が正解で何が間違っているのかなんてわかりやしない。
わかるのは……自分が彼を苦しめている、彼に彼らしからぬ言動をさせている。それだけだ。だがそれで十分だった。
ようやく意を決すると、トキヤは立ち上がり音也の前まで向かう。
「……音也、」
「ん? 何? トキヤ」
にこ、といつもの笑顔で音也は答える。それがほんの少し作りものめいて見えることは、悲しむべきなのか喜ぶべきなのか。それはきっと後者だろう。彼の本当の顔を、心を、知ることのできる位置にいるのは自分だけだ。
「そうだ。授業でちょっとわからないとこがあってさ。お風呂の後でいいから教えて―」
「そんな風に、笑わないでください」
トキヤが何かを言う前に、音也はその間を埋めるよう話し出した。向けられる笑顔は明るいものであるはずなのに、胸が痛い。こちらを見ているようで、その瞳はトキヤを捉えていない。今までを知っているから、それがわかる。
「無理に、笑うことはありません。いえ、そうさせているのは私ですね」
「トキヤ……?」
「怒っても仕方のないことだと、わかっています。騙していたと言われれば、反論も否定もできません。私には、謝ることしかできない」
「謝るって……」
「HAYATOだということを隠していて、すみませんでした」
「――」
一息にそこまで言うと、トキヤは静かに頭を下げた。小刻みに震える手を握り、鈍く光るフローリングの床だけを見つめる。
きっと声も、少し震えていただろう。みっともない。実に自分らしくない振る舞いと動揺だ。けれど恥ずかしいとは思わない。どちらかといえば、今まで見て見ぬ振りをしていた己こそが一番恥ずかしいだろう。
音也なら許してくれると、言わずともわかってくれると勝手に思って、彼の変化を気のせいだと決めつけていた。自分のことしか、考えていなかった。
「あの時皆さんに対して謝罪はしました。でもあなたは違う。あなたには……こうして直接、もっと早く、謝るべきでした」
「トキヤ……」
「あなたにしてみれば、ずっと騙されていたと……そう思うでしょう。裏切られたとも思うかもしれない。怒るのも、避けたくなるのも当たり前だと、思います。でも、そうやって無理に笑ったりしないでください」
「……」
「無理に笑われるくらいなら、直接怒りをぶつけてもらったほうがいい。どんな言葉でも受け止めます。あなたの……気持ちが治まるまで……」
思いを全て吐き出したところで、トキヤは自身の言葉に落胆した。
あれだけ考えてもこんなありきたりな方法しか導き出せない。解決策というにはあまりに稚拙だ。
それでも、込めた思いに嘘はなかった。少しでも彼の気が済むのなら、どんな言葉でも……たとえ、もうただの友人に戻ろうと言われても、受け止める。悲しいけれど、辛いけれど、それだけのことを自分はしていたのだ。
「あの、トキヤ……」
「遠慮はいりません。どうぞ、思うことを全て……」
「俺、何も怒ってなんてないよ?」
「え……」
さらりと返された言葉に、トキヤは目を見開いた。戸惑ったような声ではあるが、取り繕った感はない。けれどならば、何故避けるのか。触れようと、しないのか。
「えっと……とりあえず顔上げて」
「音也……」
すとん、とベッドから床にしゃがみ、音也はトキヤを見上げた。目が合うと、「ね、」と言うように音也が笑う。
互いにこのままの体勢で話を続けるのはやや妙だとトキヤも思い、まだ躊躇いはあれども下げていた頭を戻した。音也も再びベッドに座り、一度こちらを見てからぎこちなく視線を反らす。
「気を遣っているのですか? それならば無用です。私は……」
「いやいやいやちょっと待って。違うから! ていうかええと……あの、ここ、座ってくれない?」
「……はぁ」
ぶんぶんと首を横に振ってから、音也は自分の横を指で示した。
今までなら「ここ座って!」と否応もなく腕を引いて座らせていたのに、そうはしない。怒っていないというなら、やはりそういう関係を続けるのが難しい、といったところだろうか。
そう思いながらも、トキヤは音也の隣にやや離れて腰を下ろした。拳三つ分ほど空けるのが今の自分たちには妥当だろう。ささいなことでも、胸は小さく痛みを放つ。
「それで、違うとは何が違うのです?」
「うーんと、怒ってるっていうのと、気を遣ってるっていうのと……とにかくたぶん、今トキヤが考えてること全部!」
「全部……?」
「そう、全部! だって俺、今もトキヤのことすっげー好きだよ?」
「……」
「もうこのまま抱きしめて押し倒しちゃいたいくらい……すっげー好き。大好き」
距離は縮まらなくとも、音也はまっすぐな目をトキヤへと向けた。今度は反らすことなく、じっとトキヤの瞳を捉える。
それはいつもの彼だった。強く、揺らがず、自分の想いを伝えようとするときに見せる、彼の瞳だ。とくんと、胸が熱く鳴る、熱い瞳だ。
そこに嘘はない。言葉のまま、音也はまだ、自分を好きでいてくれている。そう思っても、心の奥底にある不安はまだ消えなかった。
「でも……なら、なんで避けて……」
「避けてなんてないよ! あぁでも……そうなのかな。そう、かも。いや、そんなつもりはなかったんだけど……その……俺バカだから」
「ええ、それは知っていますが」
「トキヤ……」
ひどい、といじけた顔をしてから、音也はへへっと笑った。つられてトキヤも少し笑う。
こんな軽口を言えたのは、音也の口からから好きだ、と聞いたせいだろう。さっきまでは一言を発するのにすら緊張していたのに、現金なものだと自分でも思う。
けれど、こんな風に話すのは久しぶりで、音也とちゃんと向き合うのは久しぶりで、心はほっと緩み喜びが滲んだ。
「うわ……その顔反則……」
「え?」
「ごめんトキヤ、やっぱ我慢限界」
「……」
何が、と問う前に、空いていた距離が一気に狭まり唇が触れ合った。突然の行為についていけないまま、トキヤは伸ばされた腕に捕らわれ抱き締められる。
「お、音也……」
「あー駄目駄目もう無理! 我慢なんてできないよ」
「我慢?」
さっぱり意味が分からず、トキヤは目を瞬かせた。短く問うと、音也は「うん」と小さく頷く。
「だからさ……俺、全然何もわかってなかったじゃん。トキヤがHAYATOだったってこと。同じ部屋で生活してて、恋人同士なのに……全然何も、気付けなかった」
「それは……私が隠していたからです。気付けなくても仕方ない」
「でも……俺知らなかったから、トキヤに色々無理させてたと思って」
しょんぼりとした声で、音也はそう続けた。隠していたのはこちらで、彼には非などひとつもない。それなのにそんな風に思っていたのかと、胸はつきりと小さく疼いた。
「仕事で疲れてたり、学校なくても仕事で早く起きないといけない時だってあったはずなのに……その、夜遅くまでつき合わせてたから」
「そ、それは……」
音也の最後の言葉に、つきりと痛んだ胸はどきりと熱く高鳴った。
「夜遅くまでつき合わせてた」とは、つまりセックスについてだろう。思わず声を詰まらせ、トキヤは一人顔を熱くさせる。
「気付けなくて、そういうの無理させてて……だからしばらく我慢しようって思ったんだ。トキヤに負担かけないようにしようってさ。でも、好きな子がこんなすぐ近くにいるのに我慢って結構難しくって……だからあんまり近づかないようにしてた」
「それで……避けてたんですか?」
「そういうつもりじゃなかったんだけど……結果的にそうなってたかも。ごめんトキヤ」
うう、と小さく唸り、音也はそっと腕を緩めて顔を上げた。しょんぼりとした目で見つめる姿に、思わず表情が緩む。そして、音也のらしからぬ言動の理由に、胸は熱く潤んだ。
避けていたのも、触れようとしなかったのも、全てトキヤを思ってのことだったのだ。嫌いになったわけでも、失望したわけでもない。好きだから、離れようとした。
「あなたが謝ることはありません。どちらにせよ、悪いのは黙っていた私です」
「違うよ。だってそれは、仕方のないことだったんだろ?そりゃ、七海だけ知ってたってのはショックだったけど…でも、それより気付けなかったことのほうがショックだった」
「音也……」
「俺、トキヤの恋人なのにさ。力になるどころか、きっとすごく迷惑かけてた。だからしばらくは我慢しようと思って……なのに、ごめん」
どんな理由であれ、彼が謝る必要などどこにもない。トキヤを思ってこその言動だったのなら尚更だ。それなのに、音也は自分こそが悪いのだと思っている。トキヤを責めようなんて、欠片も考えていないのだろう。
ただただ底抜けに明るくて、何についても素直すぎて、時折面喰うこともある。迷惑だと、思うことも皆無ではない。けれど人の思いすらまっすぐに受け止めるその心は、優しく温かく、トキヤの胸をもふわりと温めてくれる。
「何度も言いますが、あなたが謝る必要はありません。それにその……私だって無理なときは無理だと言っていたはずです」
「トキヤ……」
さすがに顔を見て言うことはできず、トキヤは目を逸らして小さく続けた。
確かに翌朝寝不足で辛かったことはある。疲れていて早く寝たいと思っていても、流されてしまうこともあった。
でもそれは、自らが望んだことだ。選んだことだ。触れ合いたいと、抱き合いたいと、トキヤ自身も思った。だから、音也だけが気に病むことではない。
「でもじゃあ、今まで通りでいいってこと?」
「そう言っているつもりですが、伝わりませんか?」
「ううん。ううん伝わってる!」
ちらりと目を上げると、音也は首を横に振り満面の笑みを浮かべた。そうして「トキヤ大好き」といつもの言葉と共にぎゅっと抱き締めてくる。
「だったら、あまりややこしいことはしないでください。あなたが物事を深く考えようとするとろくなことがない」
「うん。不安にさせちゃってごめんね」
「ふ、不安になんて……」
さらりと紡がれたそれにぎくりとし、トキヤは慌てて否定しようとした。だが、それは再び重ねられた唇に吸い込まれる。
はっきりと言葉にはしなかったものの、こちらの思いは違わず伝わってしまっていたようだった実際その通りなので、トキヤは反論を止める。そんな無意味なことよりも、今はこうして久し振りに触れ合う時間を、温かな時間を、大事にしたい。
「トキヤごめん……なんか止まんないかも……」
「えっ……」
「だってずっと我慢してたんだもん。こんな風に抱き締めてキスしちゃったら、もう無理だよ」
「ちょ、音也……待っ……」
最後まで言う前に、音也はトキヤをその場に押し倒した。ベッドのスプリングがゆらりと揺れ、仰向けになったトキヤを音也が見下ろす。
「無理はさせないから。だから、もう少し俺の側にいて?」
「音……」
「トキヤ大好き」
訊いておきながら、音也はこちらの返事を待つことはしなかった。ちゅ、と軽くキスをしてから、にこっと笑む。
その表情は平素の無邪気なそれから男のものに変わっている。止めるどころかうっかりときめいてしまっている時点で、もう勝敗は決していた。
少しだけですよ、と言うべきか、先に風呂に入らせてくれと言うべきか。
再び重なった唇が離れるまでに決めなければと考えつつ、トキヤは抱き締めてくるその背にそっと腕を回した。
2012/01/29初出・2012/2/再掲
初参加で無料配布をしたものです。
ほんとはコピー本くらいにするはずが、間に合いませんでした……。
そしてエロターンへ続きます。終わってませんすみません。
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