ベランダに続く部屋の窓は、ガタガタとその枠ごと大きく揺れていた。ざああっと打ちつける雨の音は、強くなったり弱くなったり、風の勢いとまざりあってガラスを荒々しく叩く。
そう軟な造りではないはずなのに、季節外れの嵐はマンションごと揺らす勢いで暴れていた。
「……嵐、かぁ」
カーテンから外を覗き、音也は嵐になぶられる真っ暗な闇を見つめて小さく呟いた。
ついてない。
全くもって、ついてない。
今日は一年の一度の……一年に一度しか訪れない、特別な日だったのだ。
4月11日である今日は、音也の17歳の誕生日だ。
本来なら、今この時間、音也は一人きりでいるはずではなかった。翔の発案で誕生日パーティをしようと、学園にいた頃親しかったみんながここに集まる予定だったのだ。
けれど、この急な嵐のせいで、仕事場から動けなくなった者、移動している中渋滞に巻き込まれた者、電車に缶詰になってしまった者など、皆それぞれに足止めをくらい、誰一人として音也の部屋に辿り着いていない。
音也自身は夕方に仕事が終わったおかげで、嵐がひどくなる前に帰宅できた。けれど世間では現在交通機関麻痺の真っ最中である。
もちろん、そんな中ここへ来て欲しいなんて言えるわけもなく、連絡をしてくれた友人たちには「今日はいいから、また今度みんなで集まろう」と返した。まだ何の連絡もない相手には、こちらから「今日は中止になったから」と簡単にメールをした。
学園を卒業した後、仲がよかったメンツは皆早乙女事務所所属のアイドルや作曲家になり、皆この同じ事務所の寮であるマンションに住んでいる。だから、全く会えないわけではないのだ。
といっても、頻繁に会えるわけでもない。学園にいたときとは違い、全員仕事を持っている。生活時間も違う。メールや電話だって、たまにしかしない。
卒業からまだ一ヶ月程しか経っていなくとも、あの日々が懐かしいと思うくらいには距離ができ始めていた。だから一度皆で集まりたいという思いもあって、翔は音也の誕生パーティを提案したのだろう。
だが、唐突で予想もしていなかった季節はずれの嵐のせいで、それは成せずに終わろうとしている。
なんてついてないのだろう。こんな最悪な誕生日、今まで一度だってなかった。
「……ギターでも弾こっかな」
見つめていても嵐が治まるわけではない。誰かが来るわけでもない。現場でスタッフが用意してくれた花束やケーキはあるけれど、一人で食べても空しいだけだ。
ま、仕方ないか、と肩をすくめ、音也はカーテンを閉じた。ちらりと腕時計を見れば時刻は八時を過ぎたところで、今日が終わるまで後四時間もある。特別な日であるはずなのに、まるでいつも通りだ。
こんなことなら、夜も仕事を入れておけばよかった。少なくとも一人で夜を過ごすことにはならないし、ケーキを一緒に食べる相手もいただろう。
誕生日に仕事なんて寂しいね、仕事が恋人ですから、なんて軽口を叩いて、それでもおめでとうと祝ってくれる人たちの間に、きっといられた。いられたに違いない。
けれど、音也は皆と会うほうを選んだ。皆と……トキヤと、会えるほうを、選んだのだ。
ギターを手にし、音也はソファに座ると軽くつま弾いた。奏でる音は、自分の曲ではない。学園にいる時、繰り返し練習させられた課題曲でもない。卒業オーディションでトキヤが歌った、その曲だ。
まだ記憶に新しいそれは、ステージで歌う彼の姿をも思い起こさせた。
覚えている。何もかもすべて。忘れられるはずがない。
比喩ではなく、トキヤは本当にきらきらと輝いていた。響く歌声は伸びやかで優しく、そしてとても情熱的で、聴いているだけでどきどきとした。囁くような声に、胸も体も熱くなった。
押 し込めていた想いがじりじりとこじ開けられて、苦しくて泣きたくなるような気持ちになったことも覚えている。好きだと、ただそれだけで胸がいっぱいになっ た。やっぱりどうしても好きで、でも伝えられなくて、卒業を迎えて、寮を出て、このマンションに引っ越してから、トキヤとは依然友達の関係を続けている。
繋がりを切りたくなくて、何か用事を見つけてはメールをしたり電話をしたり、自分でもみっともないと思うくらい必死だ。
かといって、だからどうにかなるかと言えばそういうわけではない。なんとかする勇気も、ない。
でも、このまま縁が途切れてしまったら、。らないところで彼に特別な誰かができてしまったら。そう思うと心は焦れ、何もせずにはいられなかった。
友達のままでも、一番の親友というポジションだけは譲れない。最も、それだってそう思っているのはこちらだけかもしれないのだが。
「……会いたかったな」
最後の音をびぃん、と弾き、音也はギターを抱き締めた。誕生日の夜に片思いの相手を思ってギターを抱き締めるアイドルって一体、と自分の有様に心で突っ込む。
「やめた。シャワーでも浴びよっと」
こうしていても思考はどんどん暗くなるし、不毛極まりない。さっぱりして、好きな音楽を流しながらでも、見られずにたまっている録画を見ながらでも、ゆっくり過ごせばいいのだ。なんなら、このやりきれない想いを作詞にぶつけてもいい。
作詞は苦手だけど、片思いソングなら結構いけるんじゃないかな、などと、音也は半分自虐的に笑った。笑ってから、笑みを消してきゅっと唇を噛み締める。
このままずっと、片思いでいるしかないのだろうか。恋が実る可能性は、ないのか。
いや、それはない。わかっている。
実のところ、音也は一度トキヤに振られているのだ。だから、そんな可能性はない。
ふとその時のことを思い出し、音也は胸の辺りをぎゅっと握った。
もうずっと前のことなのに、今も当たり前のように胸は痛む。きゅう、と苦しく締め付けられて、指先からリアルに体温が失われていく。
こんなに痛くて苦しいのに、それでも好きな想いが消えないのはどうしてなのだろう。
諦めようとしたけれど、できなかった。友達でいいと思おうとして、思い込んで、でも、そんな呪文はやっぱり効かなかった。
今も、好きだ。会えなくなって、一人部屋になったことで、それは尚一層強くなっていった。
会いたい。会えば苦しい。それでも会いたい。顔を見たい。声が、聴きたい。
「……」
声なく細い息を吐いてから、音也は傍らに置いてある携帯に目を落とした。携帯は、誰からの着信もメールも示していない。
こちらから連絡をした相手は、一人を除いて皆簡略ながらもメールを返してくれた。返してくれていない一人は、トキヤだ。
どんなにささいな内容でも、トキヤはいつも必ず返信してくれる。なのに、今日に限ってその彼からだけ返事がない。
仕事が抜けられなくてまだメールを見ていないのだろうか。たった一言でもメールをくれれば、それだけでもこの最悪な誕生日は最高のものに変わるのに。そんなことを思ってしまう自分の情けなさに、音也は苦く笑う。
連絡をくれたみんなはそれぞれ「直接祝えなくてごめん。でも誕生日おめでとう」といった内容でメールをくれた。もちろんそれは嬉しい。集まれなくても祝ってくれる気持ちが嬉しい。
でも、一番に欲しいのは、大好きな人の……トキヤからの、それだった。
たった一言でいい。簡潔で無駄のない彼らしい文章で構わない。どんなに遅くなっても構わないから―。
そんな想いを込めてぎゅっと携帯を握り締めた時だった。
「ピンポーン」と、嵐の音に紛れてインターフォンの音が鳴り響く。
「え……」
聞き間違いか、と顔を上げて玄関を見つめ、音也はそのままの体勢でしばし待った。すると、またピンポーン、とインターフォンが鳴り響く。
風の音でも雨の音でもない。それは間違いなく、音也の部屋のインターフォンの音だった。
今日は全員に中止になった連絡はしたはずだ。だとすると宅配業者か、もしくは誰か帰りついた友人がわざわざ訪ねてきたのか。
一体誰が、とやや固まっていると、今度はどこか急かすように二度続けてインターフォンが鳴らされた。
「あっ、はいはい! 今開けます!」
あわわ、と慌てて立ち上がり、音也は玄関へと走り寄った。鍵を回して外し、チェーンを抜いて、ごめんなさい、と言いながら玄関を押し開く。
「えっと、どな……」
「全く、いたのならさっさと出なさい」
「……」
どなたですかー、と言おうとした口は、「どな」の部分で止まってしまった。信じられない光景に、口だけでなく目も大きく開いてしまう。
「音也、何をしているんです。できれば早く中に入れていただきたいのですが」
「えっあっごめ……」
驚いたまま動けずにいる音也を、トキヤは眉をひそめて咎めた。びゅうっと強く吹き付ける風が、綺麗にセットされている髪を無惨に崩していく。
そうだ。今は嵐が来ていて、雨も風もひどくて、外にいるだけで危険な状態だった。
ごめん、となんとかそれだけを押し出し、音也はトキヤを迎え入れる。ばたん、と閉めた扉の前では、トキヤがスプリングコートについた雨粒を軽くはたいていた。目をぱちぱちとさせ、音也はその様子をじっと見つめる。
錯覚でもなんでもない。目の前にいるこの人はトキヤだ。会いたいと、声を聴きたいと願っていた、その人だ。
どうしてなんでここにトキヤが……っていうかこれもしかして夢なんじゃないかな? いつのまにかうたた寝して、現実には叶いっこない望みを夢見てるだけなんじゃないかな?
頭は混乱し、心臓は驚きと喜びでばくばくと急激に高鳴り出した。じわりと背に汗を浮かせ、音也はごくりと唾を飲み込む。
何度瞬きをしても、ひっそり手の甲をつねってみても、目の前の姿は消えない。消えるどころか、雨に濡れたせいかふんわりとトキヤがつけているだろうコロンの薫りまでもが微かに届いてくる。
夢でも幻でもない。これは、現実だ。
「ていうかあの……トキヤなんでここに……?」
「なんでって、今日はあなたの誕生パーティでしょう。……なんです。まだ一人なんですか?」
ひょい、と音也の背後を覗き、トキヤは首を傾げた。誰もいないことが不思議といったその様子に、音也もやや首を傾げる。
「えっと……今日はこの嵐だからみんなそれぞれ動けなくて、だから中止になったんだよ。一応トキヤにもメールしたんだけど……」
「あぁ……。すみません。ちょうど携帯のバッテリーが切れていて……」
「そっか……。そっかそれで……」
どうやら音也が送ったメールを読んでいなかったらしい。そういうことかと納得したものの、少し残念な気持ちにもある。
そんなことがあるわけがないけれど、誰もいないとわかっていて来てくれたのかな、なんて、ほんのちょっとだけ期待してしまった。トキヤは中止と知らずに来たわけで、でもそれなら、と音也は弱く拳を握る。
「でも、だったらこのまま帰っちゃう……よね。誰もいないし」
「……」
「ここまで帰ってくるのも大変だっただろ? トキヤも疲れてるだろうから……」
「なんて顔をしてるんですか」
ふっと小さく笑み、トキヤは音也の額をとん、と指先で軽く押した。優しい微笑みにどきりとし、音也は僅かに目を見張る。
「せっかくの誕生日に一人なんて、賑やかなのが好きなあなたには耐えられないでしょう。まあ、私一人では足りないかもしれませんが」
「祝って……くれるの?」
思いもかけない言葉に、胸はじわりと熱く潤んだ。仕方なく、という風を装っていても、そこにはたくさんの優しさが詰まっている。わかりにくくても、確かに優しい思いがある。
いや、もう今の音也にとって、それは「わかりにくい」優しさではなかった。とてもとてもわかりやすい、トキヤなりの優しさだ。
だから好きなんだ。だから、諦めきれない。やっぱりトキヤが好きだ、と性懲りもなく思ってしまう。
「あいにくここまでたどり着くのがやっとで、ケーキやら食べ物やらは買えていないのですが……」
「そんなのいいよ!」
肩をすくめて申し訳なさそうに言うトキヤを遮り、音也はぶんぶんと首を横に振った。
そんなものいらない。どんなおいしいごちそうよりも、トキヤがいてくれるだけで十分だ。だって、何より自分はそれを望んでいた。
「そんなのより、来てくれただけで嬉しい。一緒にいてくれるだけで嬉しい」
「音也……」
「嬉しいよ。ありがとう、トキヤ」
こらえきれず、音也はトキヤの両の手をぎゅっと握った。嬉しい。嬉しくてたまらない。
こうなってみれば、季節外れの嵐はラッキー以外の何物でもなかった。おかげでトキヤと二人で、二人きりで誕生日を過ごせるのだ。こんな素晴らしいバースデープレゼントはない。
前言撤回。今日はついてる。今までで最高の誕生日だ。
ね、入って、と喜びを隠せない満面の笑みを浮かべ、音也は大好きな人を部屋へと招き入れた。
2012/04/11
音誕SSです。
「だからそんなに〜」の続きっぽい感じで半年くらい後
卒業して事務所の寮に住んでる設定です。
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